SHIGEKI STORY2344
読む史劇
甲州勝沼の戦い|甲府城、街道、村へ届いた知らせ
甲陽鎮撫隊の進路を、輸送と情報の文書から読む。
1868年、甲府城を目指した近藤勇ら甲陽鎮撫隊は、新政府軍の先行入城後、柏尾で戦って退いた。進軍の順序、銃砲と陣地、助郷の人馬、村々への廻状をたどり、兵数・所要時間の伝え、錦絵、回想を資料の性格に応じて分けて読む。
第1章
甲府城に入れなかった新選組
新選組が、甲府城を目指していた。その途中で待っていたのは、城を攻める戦いではなく、勝沼の柏尾での衝突でした。千八百六十八年、慶応四年。
近藤勇たちは甲陽鎮撫隊を名乗り、江戸から甲州へ向かいます。しかし、目標の城には、すでに別の軍勢が入っていました。なぜ、京都で知られた隊が甲府へ進み、柏尾で敗れることになったのか。
城、街道、そして村々に届いた知らせ。この三つを手がかりに、短い甲州進出の行方をたどります。
第2章
京都から続く隊の、新しい局面
鳥羽・伏見の戦いの敗北後、近藤たちは再起を図ります。山梨県立図書館の解説では、そのために組織されたのが甲陽鎮撫隊でした。新選組という名が消え、全員が別の人間になったわけではありません。
同じ人物たちが、幕府側の軍事行動に参加する、新たな局面に立っていたのです。京都の町での活動を、そのまま甲州に移して考えると、目標を見失います。今度の進路は、江戸から西へ。
甲州道中を進み、甲府城を目指すものでした。
第3章
城は、何の拠点だったか
甲府城は、甲斐の政治の拠点でした。山梨県の文化財解説によると、中心の城と周囲の郭、さらに城下の町を含む構成をもつ近世城郭です。江戸時代の甲斐は幕府直轄の土地となり、城には甲府勤番が置かれました。
近藤たちが向かったのは、名だけの古城ではありません。ただし、城を確保すれば必ず逆転できた、という結果までは分かりません。目標と実現したことを分けて見る。
そのためにも、まず城に到着したのが誰だったかを確かめる必要があります。
第4章
二つの進路、先に入った軍
甲州市の計画書では、甲陽鎮撫隊の江戸出立は慶応四年三月一日です。ここでの月日は、当時の暦によります。山梨県の学習年表は、三月五日に板垣退助らが甲府城へ入り、翌六日に柏尾の戦いが起きたと記します。
城の年表でも、新政府軍の入城は、城内での戦闘を伴わないものとされています。近藤たちが甲府城を奪って守り抜き、そこから出撃した、という順序ではありません。進んでいる間に、目指した拠点が相手側のものになっていた。
この順番が、甲州進出を考える大きな分かれ目です。
第5章
街道を動かしたのは、隊士だけではない
軍勢が道を進む時、動くのは武器を持った人だけではありません。砲や弾薬、荷物を運ぶ人馬も必要でした。日野市が公開する助郷史料の解説には、内藤新宿の問屋から、周辺の村へ人足を求めた廻状が紹介されています。
助郷とは、宿場の輸送を支えるため、村々が人や馬を出す仕組みです。そこには新選組や鎮撫隊の荷物に関する記述もあります。街道を進む隊の後ろで、村が人を集め、荷物を継いでいく。
戦いへの道は、こうした地域の負担ともつながっていました。
第6章
城の手前で、柏尾へ
目標の城が相手に押さえられた後、隊はどこで戦ったのでしょうか。甲州市の解説では、近藤側は勝沼宿から大善寺へ後退し、柏尾に布陣したとされます。
柏尾は、甲府へ向かう街道沿いの場所です。今ある古戦場の案内や寺の姿を、そのまま当日の景色とすることはできません。
それでも、城下とは異なる、道筋の一地点で衝突したことは重要です。甲府城と柏尾、江戸方面の大まかな位置関係を押さえ、確認できない細かな陣形まで復元しないようにしましょう。
第7章
刀だけの戦いではない
柏尾の戦いは、近藤の刀一本で語れるものではありません。甲州市の計画書には、幕府側が柵と大砲を設けたことが記されています。
市の展示でも、この戦いで使われたとされる砲弾や弾丸が紹介されました。対するのは、板垣退助が率いる土佐や因幡などの新政府軍です。
近藤側が敗れ、江戸方面へ退いたという結果は、図書館の解説とも重なります。勇壮な隊士のイメージだけでは見えにくい、銃砲、陣地、人数と援兵の問題が、この衝突にはありました。
第8章
兵数を、一つの数字にしない
では、双方は何人で戦ったのか。甲州市の同じ解説には、隊員や沿道の義勇兵に関する数字と、戦闘時の幕府側の人数として紹介される数字が並んでいます。
何を数え、いつの段階を比べるかで、見える規模は変わります。ここでは、それらを足し合わせて、新しい総兵力を作ることはしません。
戦闘の長さにも、短時間で決したという伝えと、一日で決したというまとめ方があります。人数の精密な比率や、分単位の時計を確定するより、城を確保できず、柏尾で敗退した経過を押さえます。
第9章
戦況は、村へ知らせとして届く
戦いを知る手がかりは、後から描かれた英雄の姿だけではありません。日野市の解説が紹介する三月八日付の廻状には、鎮撫隊が進む前に、相手側が甲府城へ入ったことが記されています。さらに、勝沼付近での交戦について、上野原宿から知らせがあったと伝えます。
これは、書き手が戦場で全てを見たという意味ではありません。街道を通じて届いた情報を、村々が受け取る文書なのです。軍の移動と、戦況の伝達。
二つの流れが、同じ道の上に重なっていました。
第10章
求められる相手が、替わる
その後、街道の村々には、どのような変化が見えるのでしょうか。日野市の解説は、三月十二日付の廻状で、新たな勢力を官軍と呼んでいることに注目しています。
人馬を提供する相手が、旧幕府側の隊から、新政府側の軍へ移っていく様子です。村の人々が一斉に考えを変えた、とまでは、この記述から言えません。
けれども、荷物を運ぶという実務の上で、権力の交代に対応せざるを得なかったことは読み取れます。柏尾の敗戦は、隊士たちだけの出来事としては終わらなかったのです。
第11章
勇壮な錦絵を、どう見るか
山梨の資料には、芳年が描いた、近藤勇を大きく見せる錦絵もあります。図書館は、大善寺の門前に立つ勇壮な姿を紹介しています。ただし、絵に描かれた一瞬を、そのまま実際の動作として語ることはできません。
廻状には、輸送の指示や伝わってきた戦況が残る。錦絵には、人を引きつける人物の姿がある。性質の違う資料を、同じものさしで読まないことが大切です。
回想録を確認する場合も、いつ、どの立場から書かれたかを確かめる必要があります。
第12章
甲州へ向かった、という問いへの答え
近藤たちは、なぜ甲府へ向かったのか。確認できるのは、敗北後の再起を図り、甲府城を目指して江戸から進んだことです。しかし新政府軍が先に入城し、甲陽鎮撫隊は柏尾で戦って東へ退きました。
城を目指した計画と、街道で起きた現実。その間を、人馬の徴発や、村へ届く知らせがつないでいます。甲州勝沼の戦いをたどると、京都で知られる隊の最後の抵抗だけでなく、地域が権力の交代を受け止める局面が見えてきます。
一本の街道の上で、軍の進路と、村々の日々の仕事が交差していたのです。
本作の読み方
史実と再構成について
城を目指す計画と街道での敗退の間には、荷を運ぶ人馬と情報を受け取る村々の仕事があり、政権交代はその実務にも現れた。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
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甲陽鎮撫隊が江戸を出立する。
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板垣退助ら新政府軍が、甲府城に入る。
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柏尾で衝突し、近藤側が敗れて江戸方面へ退く。
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廻状が、新政府側の先行入城と上野原宿からの交戦の知らせを伝える。
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助郷関係の廻状に、官軍への人馬提供へ対応する動きが見える。
Sources
参考資料・出典
- 甲州市歴史的風致維持向上計画 第2章 柏尾古戦場跡 甲州市 参照日: 2026-11-06
- 日野の歴史と民俗160号 詳細版 助郷史料に記されている鎮撫隊 日野市 参照日: 2026-11-06
- 山梨デジタルアーカイブ 勝沼駅近藤勇驍勇之図 山梨県立図書館 参照日: 2026-11-06
- 山梨県立図書館 クイズで学ぼう甲州文庫 Q8解説 山梨県立図書館 参照日: 2026-11-06
- 山梨県の歴史 明治元年~11年 山梨県 参照日: 2026-11-06
- 山梨県 甲府城年表 山梨県 参照日: 2026-11-06
- 山梨県文化財ガイド 史跡甲府城跡 山梨県 参照日: 2026-11-06
- ふるさと山梨 中学校版 年表p148 山梨県教育委員会 参照日: 2026-11-06
- 甲州市 柏尾の戦い展示概要 甲州市 参照日: 2026-11-06
- 山梨県立博物館 高校日本史 甲斐の幕末・維新 活用資料 山梨県立博物館 参照日: 2026-11-06
