SHIGEKI STORY592
読む史劇
廃藩置県――藩を廃した一日と、行政をつないだその後の日々
版籍奉還、長官の任命、県の再編、役所の引継ぎ。全国の統治はどう組み替えられたのか。
1871年の廃藩置県で、全国の藩は県へ改められました。二年前の版籍奉還から、地方長官の交代、府県の統合、愛知に残る引継ぎの文書までをたどります。大きな決定と現地で行政を続ける仕事の両方から、中央集権への転換を読みます。
第01章
消えたのは何か
一八七一年、明治四年七月十四日。日付は当時の暦です。
全国の藩を県へ改める、廃藩置県の詔が発せられました。それまで地方を治めていた藩の知事は、その職を失います。
しかし、地図の上で藩という文字が県に変わっただけでは、この改革は説明できません。地方の長官を誰が任命するのか。
離れた領地をどこへまとめるのか。役所の仕事を誰が引き継ぐのか。
その三つを追うと、廃藩置県が全国の統治を組み替える出来事だったことが見えてきます。まず覚えておきたいのは、この日に現在の都道府県が完成したわけではない、ということです。
改革直後の区分は三府三百二県。多くの県が生まれた後、さらに統合が続きました。
第02章
二年前の返還
廃藩置県の二年前、一八六九年。明治二年の正月、長州、薩摩、肥前、土佐の四藩主の名で、版籍奉還の上表が提出されました。
版は土地、籍は人民を指します。土地と人民を天皇へ返すという申し出です。
他の藩もこれに続き、政府は六月、申し出を認めるとともに、まだ上表を出していない藩にも返還を命じました。ここで、藩主が領地を治める根拠は大きく変わります。
けれども、返還の直後に、旧藩主全員が地方の政治から立ち去ったわけではありません。政府は旧藩主を、改めて知藩事に任命しました。
返すことと、現地で統治を続けることが、同時に起きていたのです。廃藩置県の前に、まずこの段階を置いて考える必要があります。
第03章
同じ人物、変わる立場
知藩事という言葉は、旧藩主が引き続き地方の行政を担ったことを示しています。ただし、もとの領主と全く同じ立場ではありません。
国立公文書館の解説は、政府の地方行政官として政策を行うことが求められた、と説明しています。ここには二つの面があります。
現地を治める人は多くの場合そのままなのに、その人を任命する側は政府となった。一方で、藩という統治の単位は、なお残っています。
この二つを分けると、版籍奉還と廃藩置県の違いがつかめます。版籍奉還は土地と人民の返還。
廃藩置県は藩をなくし、その行政を府県へ移す改革です。二年の間隔を、単に同じ改革の繰り返しと見ると、地方に残っていた仕組みを見落としてしまいます。
第04章
詔書が示す目的
廃藩置県の詔書は、なぜ藩をなくす必要があると説明したのでしょうか。記録には、国内の人民を安んじ、国外の諸国に向き合うため、政治の命令を一つへまとめる、という趣旨が示されています。
以前の版籍奉還にも触れ、名目と実態の隔たりや、命令の系統が分かれることを問題にしています。ここから読み取れるのは、政府が、国全体を一つの方針で動かすことを目標に掲げていた、という点です。
ただし、詔書に書かれた目的と、各地で改革がどう実行されたかは、同じ問いではありません。中央の決定だけを見ても、地方の役所がその後どう動いたかまでは分からない。
決定を記した文書と、引継ぎの文書を並べて見ることで、改革の別の面が現れてきます。
第05章
決定を支えた軍事力
決定を実行するには、その命令を支える力も必要でした。政府は薩摩、長州、土佐の三藩から、御親兵を募りました。
国立公文書館は、反対勢力に対抗できる軍事力を背景に廃藩置県が実施された、と説明しています。ここで大切なのは、廃藩が文書の言葉だけで進んだのではない、という点です。
改革を支えた兵力の由来にも、藩がありました。藩をなくす政策を、藩から集めた兵が支える。
この関係には、明治政府が新しい統治を築く過程が表れています。ただし、軍事力を背景にしたことから、その日に全国で戦闘が起きたと読み替えることはできません。
命令を実行する備えと、実際の戦闘は分けて考えます。新たな地方制度を決める政治と、それを実行に移す力。
その両方が、この転換を支えていました。
第06章
知藩事の罷免
明治四年七月十四日。廃藩置県によって、藩の知事は罷免され、東京に住むことを命じられました。
二年前、旧藩主を知藩事に任命した政府が、今度はその役職を廃したのです。ここで地方の行政を担う人と、旧藩主との結び付きが切り替わります。
藩の名称を県に変えるだけなら、同じ人がそのまま治め続けることも考えられます。しかし実際の改革は、地方長官の交代と居住地の命令を伴いました。
人事と行政区分を合わせて見ることが大切です。東京への居住命令は、旧藩主がもとの土地で長官を続ける制度が終わったことを示します。
一方で、職を失ったという事実だけから、一人一人の心情や、その後の暮らしまで決めつけることはできません。政治上の地位の変化と、個々人の人生は、別に確かめる必要があります。
第07章
府県へつながる任命
旧知藩事に代わり、府県の行政は、政府が任命する地方官によって行われることになりました。当初の県知事、後の県令など、長官の名称には変化があります。
大切なのは、名称よりも任命の仕組みです。地方の統治を担う長官が、中央政府の任命で置かれる。
その関係が、各地の行政を政府へつなぎます。中央集権という言葉は、この関係から考えると具体的になります。
日本の各地域で行政の仕事をする役所は必要なままです。その役所を、藩の仕組みから政府のもとにある府県の仕組みへ移す。
改革の中心には、この統治の組み替えがありました。中央集権化を、地方の仕事そのものが東京へ消えてしまうことだと理解すると、府県の存在を見失います。
地方に行政を置きながら、その任命と統治の関係を変えたのです。
第08章
三府三百二県の地図
改革直後、日本の行政区画は三府三百二県となりました。この数字は、三百二の藩がすべて同じ形で存在した、という意味ではありません。
廃藩置県後の府県の区分を表す数字です。藩を県へ置き換えた当初には、以前からの領地の形が残り、離れた場所にある飛び地も多くありました。
名称を変えることと、行政の区域を整理することは、別の作業でした。県を置いた後にも、離れた領地をまとめ、府県の配置を整える仕事が続きます。
一度の命令で県が置かれても、府県の配置がそこで確定したわけではありません。現在の地図をそのまま一八七一年へ重ねると、この途中の姿が消えてしまいます。
廃藩置県を知るには、完成後の地図だけでなく、変わっていく地図を追う必要があります。
第09章
再編は決定の後にも続く
同じ明治四年の八月、九月、十一月にかけて、府県の統廃合が行われ、三府七十二県へと再編されました。国立公文書館の展示には、九月の三府七十三県への布告案もあります。
案の数字と、その後の区分を混ぜないことが大切です。三百を超える県を置いた段階から、府県をまとめる段階へ。
その変化は、藩をなくすことと、新しい地方行政の区域を整えることが、一続きの仕事だったことを示しています。ここまでを、改革の決定、人事の切り替え、区域の統合という三つに分けてきました。
では、ひとつの地方では、その組み替えがどのような形になったのでしょうか。全国の数字から少し離れ、尾張と三河で置かれた県を見てみます。
そこには、いまの県名へ至るまでの、もう一段の変化があります。
第10章
愛知に残る途中の姿
いまの愛知県にあたる地域では、廃藩置県で十二の県が置かれました。その後、尾張は知多郡を除いて名古屋県へ、三河と知多郡は額田県へとまとめられます。
愛知県公文書館の解説によれば、一八七二年四月に名古屋県は愛知県に改められ、同年十一月に額田県が合併しました。尾張と三河が一つの県へまとまるまでには、名称の変更と区域の統合という二つの段階がありました。
愛知という県名を知っていても、その前に名古屋県と額田県が並んだ時期があったことは、見落とされやすいかもしれません。十二から二つ、そして一つへ。
地域の例を見ると、全国の府県の数字が変わった背景を具体的に理解できます。ただし、これは愛知の経過であって、全国すべての地域が同じ順番でまとまったということではありません。
それぞれの地方には、それぞれの再編の過程があります。
第11章
引継ぎの文書を見る
県をまとめる時、廃止された県の役所の仕事は、どう扱われたのでしょうか。愛知県公文書館が紹介する新県取計心得には、廃県となった場所を出張所として、従来どおり事務を取り扱うようにする趣旨が示されています。
行政区分の名前が変わっても、そこに暮らす人々に関わる仕事は続きます。新しい仕組みへ移る間にも、現地の事務を受け止める場所が必要でした。
この文書からは、旧県と新県の引継ぎを円滑に進めようとしたことがうかがえます。全国の改革を一枚の地図で見るだけでは、その手順は見えにくい。
詔書が大きな方針を示し、引継ぎの文書が具体的な仕事をつなぐ。廃藩置県を実施するとは、命令を出すことに加えて、各地で行政が続くようにすることでもあったのです。
第12章
一日と、その後の年月
廃藩置県の後も、府県の統合や制度の整備は続きました。一八九〇年には府県制と郡制が公布され、府県の区域を確定し、政府任命の知事のもとで府県会を整える制度が設けられます。
現在の地方行政へ至る道には、さらに長い年月がありました。廃藩置県を、現在の制度が一日で誕生した出来事と見ることはできません。
それでも、一八七一年の転換は大きなものでした。藩の知事が職を失い、政府任命の地方官が行政を担い、府県の区域が組み替えられていく。
全国の藩はどう消えたのか。その答えは、名称、人事、区域、そして仕事の引継ぎにあります。
藩を廃した一日と、新しい仕組みを動かしたその後の日々。その両方を見て、初めて中央集権への転換の輪郭が浮かび上がります。
編集注記:一八七二年以前の月日は当時の旧暦です。三府七十三県は九月の布告案、三府七十二県は再編後の区分として記しています。詔書と引継ぎ文書は所蔵機関が公開する内容・解説から読み、原史料を独自に全文翻刻したものではありません。愛知の再編を全国共通の順序として扱っていません。挿絵はAI生成による概念表現、説明図は公開解説に基づく独自制作です。
本作の読み方
史実と再構成について
名称、人事、区域、事務の引継ぎを分けてたどることで、廃藩置県を一日の決定とその後の実施が連なる改革として読む。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
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四藩主が版籍奉還を願い出、政府が返還を認める。旧藩主を知藩事に任命する。
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廃藩置県の詔。知藩事を罷免し、政府が任命する地方官による府県の行政へ移る。
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3府302県から統廃合を経て3府72県へ。九月の3府73県は布告案として区別する。
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名古屋県が愛知県に改められ、額田県との合併によって尾張と三河が一つの県になる。
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府県制と郡制が公布される。廃藩置県の後も地方の制度整備が続く。
Sources
参考資料・出典
- 国立公文書館・日本のあゆみ「藩ヲ廃シ県ヲ置ク」 国立公文書館 参照日: 2026-10-09
- 国立公文書館「版籍奉還と廃藩置県」 国立公文書館 参照日: 2026-10-09
- 国立公文書館「薩長土肥の4藩主が版籍奉還を願い出る」 国立公文書館 参照日: 2026-10-09
- 国立公文書館「全国を3府73県に」 国立公文書館 参照日: 2026-10-09
- 国立公文書館「最後の殿様-廃藩置県から府県制へ-」 国立公文書館 参照日: 2026-10-09
- 愛知県公文書館「愛知県のはじまりと県庁のあゆみ」 愛知県公文書館 参照日: 2026-10-09
- 愛知県「あいちのおいたち」 愛知県 参照日: 2026-10-09
- アジア歴史資料センター「廃藩置県ノ詔書」 アジア歴史資料センター 参照日: 2026-10-09
