SHIGEKI STORY2200
読む史劇
榎本武揚のその後|敗戦から外交へ、役目と文書をたどる
五稜郭の先にあった、開拓使・条約・旅・移住構想の仕事。
箱館での降伏後の榎本武揚を、1872年の放免と開拓使への出仕、樺太千島交換条約、1878年のシベリア横断、閣僚としての活動とメキシコ移住構想から読む。個人の能力、政府の訓令、実際の成果を区別してたどる。
第1章
敗れた指導者が条約に署名する
千八百七十五年、ロシアのサンクトペテルブルク。日本を代表して、樺太千島交換条約に署名したのは、榎本武揚でした。幕府の海軍を率い、新政府に抵抗した人物が、今度は明治政府の公使として交渉の席にいる。
その間に、何があったのでしょう。五稜郭での降伏を、榎本の人生の終わりにすると、この先の仕事は見えてきません。けれど、優れた才能があったから、すべてを任された、とまとめるのも早すぎます。
釈放、開拓使への出仕、政府から与えられた訓令。役目の変化を一つずつ追うと、海を越えて学んだ知識が、別の政府の仕事へつながる道筋が見えてきます。まず、交渉の机に着く前の時間へ戻りましょう。
第2章
幕府で学んだ知識
榎本は、明治になって初めて西洋の知識に触れた人物ではありません。長崎海軍伝習所で学び、幕府の時代にはオランダへ留学していました。国立国会図書館の解説が紹介する学びの範囲は、軍事や砲術、蒸気機関だけでなく、国際法や鉱物学にも及びます。
軍艦を動かす知識と、外国の制度や土地を調べる知識が、一人の経歴の中で重なっていたのです。その一方で、江戸城の開城後も、榎本は新政府への抵抗を続けました。西洋の学問を身につけていたことと、どの政治勢力に属していたかは、同じ問いではありません。
後の外交官だけを見て、戦争中から明治政府への道が決まっていたと考えることはできません。
第3章
釈放から開拓使へ
降伏した榎本は、すぐに政府の高官になったわけではありません。入獄を経て、千八百七十二年に放免となり、開拓使へ出仕します。北海道立文書館の所蔵案内は、この順序を簡潔に示しています。
国立国会図書館は、北海道開発に従事した背景として、黒田清隆の庇護を挙げています。ここで確認できるのは、知識を持つ人物がいたことだけではありません。その人物を迎える側に、黒田と開拓使という、人と役所のつながりがあったことです。
敗戦から釈放へ、釈放から任務へ。その間の手続きを飛ばすと、登用は一瞬の美談になってしまいます。実際の経歴をたどるには、榎本自身の能力とともに、誰のもとで、どの仕事に就いたのかを見ておく必要があります。
第4章
樺太をめぐる政府の方針
開拓使で働いた後、榎本に与えられたのが、ロシアとの交渉でした。ただし、その方針を榎本一人が自由に決めたわけではありません。外務省の解説によると、政府内には、樺太を確保する案と、樺太を放棄する案がありました。
副島種臣と黒田清隆は、それぞれ異なる立場を示していました。やがて樺太を放棄する方針が優勢となり、榎本は、その内容を含む訓令を携えてロシアへ向かいます。公使は、自分の希望を語るだけの旅人ではありません。
政府の方針を受け、相手国と条件を詰める役目です。榎本の働きを考えるときも、交渉した本人と、交渉の枠組みを定めた政府を、重ねずに見ていきましょう。
第5章
交換した範囲を確かめる
樺太千島交換条約では、何を交換したのでしょう。日本側は、樺太全島に対する権利を放棄し、その代わりに、ウルップ島からシュムシュ島までの十八の島々をロシアから譲り受けました。外務省の展示解説は、条約に島の名が列挙されていることを説明しています。
樺太と千島、という二つの大きな名前だけで眺めると、交換した範囲は曖昧になります。北へ連なる島のうち、条約がどの島々を指していたのか。それを確かめることが、条件を読む入口です。
これは、榎本個人が新しい土地を手に入れた、という話ではありません。日露両政府が、権利と領有の扱いを取り決めた条約です。人物の活躍と、その人物が署名した内容を、両方から見ていきます。
第6章
署名で終わらない外交
調印は、千八百七十五年五月七日。批准書が交換されたのは、同じ年の八月二十二日でした。国立公文書館は、さらに十一月の布告を伝える資料も紹介しています。
交渉がまとまり、署名し、政府が正式に確認し、国内にも知らせる。一枚の条約の後ろには、こうした段階があります。ここで、榎本が署名した日と、その取り決めが後の手続きを通る日を、同じ日にしてはいけません。
国立公文書館に残る公告についての上申も、外交が交渉の席だけで完結しなかったことを伝えます。華やかな署名の場面の外側で、文書が行き交い、役所が動く。榎本が担った公使の仕事を、制度の中に置いてみると、戦場とは違う形で国家の任務に関わった姿が見えてきます。
第7章
帰国の道はシベリアへ
ロシアでの任務を終えた後にも、榎本の記録は続きます。千八百七十八年、彼はシベリアを横断して帰国の途につきました。まだシベリア鉄道がない時代です。国立国会図書館が紹介する日記は、大小二冊。
馬車に揺られながら、場所や出来事を記しています。条約の調印だけを追う年表から、旅の記録へ視線を移すと、外国を見る仕事にも別の厚みが出てきます。首都の交渉相手だけでなく、道中の町や土地も記録の対象になりました。ただし、日記は、そこに暮らしたすべての人の声を集めた資料ではありません。
一人の旅行者が、何を見て書き留めたかを伝えるものです。榎本の観察と、その土地そのものを、同じものとして扱わないように読みます。
第8章
写真を集める旅人
旅の途中、榎本は写真も集めました。国立国会図書館の解説には、写真館での購入や、相手から贈られた写真、交換した写真が紹介されています。自分で撮影したものだけを持ち帰ったのではありません。町の景色を手に入れ、出会った人々と写真をやり取りする。
その行動は、文章だけでは残しにくい情報にも目を向けていたことを教えてくれます。一方、写真が残っていれば、それだけで旅のすべてが分かるわけでもありません。誰が撮り、どこで買い、誰から受け取ったのか。日記の記述と合わせることで、その一枚の来歴が見えてきます。
外交官という肩書の後ろに、外国の風景を調べ、手元に集めようとする姿がありました。交渉の机と、旅の手帳が、同じ経歴の中でつながります。
第9章
公使から外務大臣へ
榎本は、ロシアとの交渉だけで政府の仕事を終えたわけではありません。駐清公使を務め、内閣の時代には、逓信、文部、農商務、外務といった分野の大臣を歴任しました。こうした肩書を並べると、一人で何でも成功させた人物のように見えるかもしれません。
けれど、官職に就いたという事実と、個々の政策がどこまで実現したかは、分けて確かめる必要があります。千八百九十一年には外務大臣となり、条約改正事業に当たりました。さらに、移民に関する仕事にも取り組みます。
ロシアで領土を交渉した公使が、今度は、海外へ渡る人々と政府がどう関わるかを扱う。その変化は、海を越えることが、軍艦や条約だけの問題ではなかったことを示しています。
第10章
海外に暮らしを築く構想
榎本が考えた海外への移住は、一時的に働いて帰ることだけではありませんでした。国立国会図書館は、日本の資本で土地を購入、あるいは借り、移住した人々が耕して定住する構想を紹介しています。外務省には移民課を設け、移住先を調べる取り組みも進めました。
外務大臣を退いた後の千八百九十三年には、殖民協会の設立に関わります。ここで使われる殖民という言葉は、当時の計画や団体の名前です。外国に新しい土地を得れば、暮らしが自動的に安定するという意味ではありません。
土地の条件を調べること、事業に必要な資金を用意すること、渡った後の生活を支えること。構想を実際の移住に変えるには、交渉とはまた違う課題が待っていました。
第11章
構想と結果の間にあるもの
千八百九十七年には、榎本の計画と結びついた人々が、メキシコへ渡りました。在メキシコ日本国大使館も、この組織的な移住を紹介しています。しかし、国立国会図書館の解説は、榎本の計画が資金不足で挫折したことを伝えています。
海外へ向かう道を作ることと、移住地の事業を続けることは、同じ達成ではありません。出発したという出来事だけで、計画全体を成功とすることはできないのです。また、一つの事業が行き詰まったことだけで、渡った人々のその後まで終わったことにもなりません。
榎本の構想、資金を必要とした事業、現地で暮らす人々。それぞれの時間を分けると、海を越える計画の実現には、名声や知識だけでは越えられない条件もあったと分かります。
第12章
その後を役目から読む
箱館で降伏した榎本武揚は、その後の明治で何を担ったのでしょう。釈放後は開拓使に出仕し、駐露公使として政府の訓令に基づく交渉を行い、樺太千島交換条約に署名しました。帰国の道ではシベリアを観察し、後には大臣として政策を扱い、海外への移住構想にも関わります。
そこには、幕府のもとで学んだ知識が生きる場面も、黒田の庇護や役所の仕事につながる場面もありました。そして、構想がそのまま成功にならない場面もあります。敗れた指導者から、交渉する公使へ。
その変化を、天才一人の物語に閉じ込めず、任務と文書、計画と結果から読み直す。榎本のその後には、政権が変わっても続く知識と、時代の中で変わっていく役目の、両方が映っています。
本作の読み方
史実と再構成について
榎本の転身は、知識を持つ個人だけでなく、その人物を迎える人と役所、与えられた任務、計画を支える条件から読むことができる。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
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放免後、開拓使へ出仕する。
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駐露公使となり、政府の訓令を携えてロシアへ向かう。
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樺太千島交換条約に調印する。
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批准書を交換する。国内の布告は同年11月。
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シベリアを横断して帰国の途につき、日記や写真を残す。
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外務大臣となり、条約改正事業と移民に関する仕事に取り組む。
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外相退任後、殖民協会の設立に関わる。
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榎本の構想と結びついた組織的なメキシコ移住が行われる。
Sources
参考資料・出典
- 国立国会図書館・近代日本人の肖像「榎本武揚」 国立国会図書館 参照日: 2026-11-06
- 北海道立文書館「榎本武揚書簡」 北海道立文書館 参照日: 2026-11-06
- 外務省外交史料館「明治期」樺太千島交換条約批准書 外務省外交史料館 参照日: 2026-11-06
- 国立公文書館「明治宰相列伝」開拓長官黒田清隆千島州へ出張 国立公文書館 参照日: 2026-11-06
- 国立公文書館「樺太・千島交換条約が批准される」 国立公文書館 参照日: 2026-11-06
- 国立国会図書館・日記の世界「榎本武揚」 国立国会図書館 参照日: 2026-11-06
- 国立国会図書館「榎本武揚のシベリアにおける写真収集」 国立国会図書館 参照日: 2026-11-06
- 外務省外交史料館「伯剌西爾との出会い」 外務省外交史料館 参照日: 2026-11-06
- 国立国会図書館「ブラジル移民の100年」第1章(2) 国立国会図書館 参照日: 2026-11-06
- 在メキシコ日本国大使館「榎本殖民団メキシコ移住125周年」 在メキシコ日本国大使館 参照日: 2026-11-06
