SHIGEKI STORY2094
読む史劇
鉄道開業と高輪築堤|列車と船が交わった海の土手
列車を海へ出す土手は、人々が海へ出る道も問う場所だった。
1872年の鉄道開業を支えた高輪築堤を、用地確保、石と土の調達、基礎と盛土、風波への補修、船を通す橋から読む。第5橋梁の願い出と第7橋梁の遺構、開業時と改良後、史跡指定と保存方法を分けてたどる。
第1章
なぜ最初の鉄道は海へ出たのか
明治初めの東京湾。岸から少し離れた海の中を、蒸気機関車が走っていました。
線路を支える細長い土手が、高輪築堤です。新橋と横浜を結んだ最初の鉄道は、なぜこの場所で海へ出たのでしょうか。
陸に線路を通す難しさ、石と土を集める工事、そして岸と海を行き来する船。その三つを重ねると、築堤は単に列車を走らせるための土手ではなく、海辺の暮らしと新しい交通が出会う場所だったと分かります。
国指定文化財等データベースの一号機関車の説明は、1871年英国製の1B形タンク式であったことと、のちの改造で外観が大きく変わったことを伝えています。現存する車両の写真を、そのまま1872年の姿として扱うことはできません。ここに載せる列車も説明用の創作情景であり、一号機関車の精密復元ではありません。
第2章
いまの駅と開業時の駅を分ける
舞台になるのは、新橋から品川へ向かう途中の高輪です。ただし、開業当時の新橋駅は、現在の汐留にありました。
横浜駅も、いまの横浜駅ではなく、桜木町駅のある場所です。新橋と横浜、およそ29キロの路線のうち、高輪の海上を通る区間はおよそ2.7キロありました。
いまの街並みだけを見ると想像しにくい距離です。当時の海岸と鉄道の位置関係を考えるときは、現在の駅や埋め立て後の陸地を、そのまま明治初めへ戻さないことが大切です。
第3章
旧暦9月12日と新暦10月14日は同じ開業式の日
開業の日付にも、少し注意が必要です。明治5年9月12日は、いまの暦で1872年10月14日。同じ日を、二つの暦で表しています。
この日に、新橋と横浜を結ぶ鉄道の開業式が行われました。その前には、品川と横浜の間で仮開業が始まっています。工事が進んだ区間から列車を走らせ、全線の開業へつなげたのです。
仮開業と開業式、そして旧暦と新暦。これらを分けると、一本の路線が動き出すまでの順序が見えてきます。
第4章
用地の問題を海の土木工事へ置き換える
海の工事が必要になった背景には、陸の用地を確保する難しさがありました。東海道沿いには屋敷などが並び、軍事用地も関わっていました。
国立国会図書館の解説は、こうした事情を海上に築堤した背景として挙げています。大隈重信が海へ線路を通す判断をしたという話も、後年の回想に現れます。
ただし、一人の決断だけで、すべての工事が片付いたわけではありません。海に土手を築くという選択は、必要な土地をめぐる問題を、大規模な土木工事へ置き換えることでもありました。
第5章
英国の鉄道技術と日本の石積み
鉄道建設では、イギリスから来た技術者たちが重要な役割を果たしました。一方で、高輪築堤を形にしたのは、日本で積み重ねられてきた石積みや土木の技術でもあります。
JR東日本の整備基本計画書には、品川台場の工事に関わった人々が、この築堤の工事も請け負ったことが記されています。線路や機関車を用意する仕事と、海底からその足場をつくる仕事。
鉄道の開業には、その両方が必要でした。目立つ車両の下には、石を扱い、土を運ぶ現場がありました。
第6章
石の再利用と、土砂を出した丘
長い土手を築くには、大量の材料が必要です。築堤には、東海道の海岸の石垣や、品川台場の石材などが再利用されました。土砂は、八ツ山や御殿山を切り崩して運ばれています。
ここでいう台場は、品川の台場です。横浜の神奈川台場と混同することはできません。新しい鉄道のために、既存の海岸施設や丘の地形も変えられていきました。
高輪築堤は海の中だけで完結した工事ではなく、周囲の土地と資材を組み替える仕事でもあったのです。
第7章
地盤・基礎・石垣・盛土・線路をつなぐ
築堤の断面を見ると、両側を石垣で支え、その内側に土を盛って、上に線路を載せた構造が分かります。発掘では、石垣の下を支える木材や杭も確認されました。海の中に石を積むだけでは、長い線路の足場にはなりません。
地盤、基礎、盛り土、線路が、一つの構造として働く必要がありました。ただし、調査地点や改良の時期によって、造りには違いがあります。ここでは、役割の関係を模式的に整理しています。
すべての区間が同じ断面だったという復元ではありません。
港区の抜粋資料は、当初の海側・山側の布積みと、後に拡幅された山側の谷積みを分けています。JR東日本の計画書の断面にも、開業時と拡幅後の石垣が別に示されます。一つの調査断面の幅や高さを、全区間共通の寸法として図示することは避けます。
第8章
北側の工事を妨げた風と波
工事は、南側と北側で時期を分けて進められました。整備基本計画書によると、北側では風波によって盛り土が崩れ、手直しが必要になったといいます。
陸に土を積む場合とは違い、波にさらされる場所で、線路の高さと足場を保たなければなりませんでした。完成した石垣の線だけを見ると、その途中の苦労は分かりにくいものです。
しかし、崩れた部分を直しながら進めた記録は、この細長い土手が、海の条件と折り合いをつけて築かれたことを伝えています。
第9章
列車の下に船を通す第7橋梁
長い築堤が岸と海の間をふさげば、船の行き来はどうなるのでしょうか。高輪築堤には、第5から第8まで、四つの橋が設けられました。その一つ、第7橋梁の下には、船を通すための水路がありました。
開業時の橋は、石の橋台に木の桁を渡した構造です。石造りのアーチ橋や、のちの鉄橋の姿を、そのまま開業時へ戻すことはできません。上を列車が進み、下を船が通る。
橋のある場所では、新しい鉄道と、それまでの海の交通が上下に重なっていました。
第10章
第5橋梁を求めた本芝の人々
船の通り道は、工事側だけで考えられたものでもありません。第5橋梁が造られた本芝では、地元から橋を設けてほしいという願いが出されています。
整備基本計画書は、願い出や費用の負担をめぐる経緯を紹介しています。この話は第5橋梁についての記録です。
第7橋梁にも同じ交渉があったと、読み替えることはできません。それでも、橋を求めた記録からは、海辺で働く人々にとって、岸から海へ出る経路が、鉄道の建設と同時に考えなければならない問題だったと分かります。
第11章
複線化、埋立て、地中に重なる時代
開業時には単線だった鉄道は、のちに複線、さらに三線へと広がり、築堤にも改良が加えられました。発掘された石垣を見ても、すべてが開業当初の姿とは限りません。
その後の埋め立てで、海だった場所は街の下に埋もれていきます。2019年、品川駅の改良工事の際に石垣が見つかり、調査が進められました。
地中から現れたのは、昔の風景をそのまま止めた一枚の断面ではなく、鉄道と街が変わる中で積み重なった、複数の時代の痕跡でした。
第12章
史跡指定と、異なる保存の方法
高輪築堤跡は、2021年9月17日に国の史跡に指定されました。現地で残す部分、移して保存する部分、調査して記録を残す部分は、同じ意味ではありません。
約2.7キロの築堤すべてが、そのまま残されているわけでもありません。最初の鉄道を支えた石垣をたどると、陸の用地、海の工事、船で働く人々がつながって見えます。
高輪築堤は、列車を海へ出すための土手であると同時に、海へ出る道をどう残すかが問われた場所でもあったのです。
厳密には、2021年9月17日は既存の旧新橋停車場跡への追加指定と名称変更で、「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」となった日です。文化庁の同年8月23日の紹介は指定すべきとの答申時点、港区抜粋の保存図も2021年9月時点の整理です。現在の公開範囲や全工事の完了を、その過去の資料だけで保証することはできません。
本作の読み方
史実と再構成について
高輪築堤は陸の用地、海の土木工事、船で暮らす人々をつなぐ施設であり、開業と後の改良・保存を時点ごとに分けて読む必要がある。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
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一号機関車が英国で製造される。現存外観はのちに改造。
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品川〜横浜間が先に運行。開業式と区別。
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新橋〜横浜の開業式。同じ日を異なる暦で表す。
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高輪築堤は単線。橋台・木桁の橋と通船口がある。
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新橋〜品川間複線化。
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第7橋梁が木橋から鉄橋へ改良される。
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新橋〜品川間三線化。築堤拡幅の痕跡。
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品川駅改良工事で石垣の一部が発見される。
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高輪築堤跡を史跡に指定すべきとの答申。指定日とは別。
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追加指定・名称変更により旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡となる。
Sources
参考資料・出典
- 概説 高輪築堤(抜粋) 港区教育委員会 参照日: 2026-11-04
- 高輪築堤跡 整備基本計画書 第2章 JR東日本 参照日: 2026-11-04
- 高輪築堤跡の史跡指定について(2021年8月23日) 文化庁 参照日: 2026-11-04
- 高輪築堤跡 港区 参照日: 2026-11-04
- 日本最初の鉄道 新橋横浜間鉄道之図 国立公文書館 参照日: 2026-11-04
- 明治5年 新橋・横浜間の鉄道が開通する 国立公文書館 参照日: 2026-11-04
- 本の万華鏡32 鉄道が変えたコト・モノ 開業前夜 国立国会図書館 参照日: 2026-11-04
- 一号機関車 一八七一年英国製 国指定文化財等データベース 文化庁 参照日: 2026-11-04
