SHIGEKI STORY2004
読む史劇
松前藩とアイヌ交易|商場知行制から場所請負制へ
北の港の繁栄を、交易の権利と、生産を担った人々から考える。
米の石高だけでは測れない松前藩の経済を、交易権と船荷から読む。1604年の黒印状、家臣の商場、商人への借入と経営委託、海産物の需要、アイヌの人々の交易と労働の変化、三湊の繁栄をたどる。
第1章
米の石高だけでは見えない藩
米を年貢として集める藩がある一方、北の松前では、海を渡る品物と交易が経済を支えていました。船が運んだのは、土地の産物だけではありません。
その背後には、誰が誰と取引できるかを決める権利がありました。松前藩とアイヌの交易を、港の繁栄と、取引する人々の立場の変化からたどります。
商場知行制と場所請負制。この二つを分けると、北の交易の仕組みが見えてきます。
第2章
松前藩以前からあったアイヌの交易
北海道の交易は、松前藩がつくったものではありません。アイヌの人々は、外の世界から切り離されて暮らしていたのではなく、産物を作り、他の地域の人々と交換する交易者でもありました。北海道デジタルミュージアムは、昆布やサケが本州へ運ばれ、中国の陶磁器や銅銭が北海道に入ったことを紹介しています。
松前の歴史を読むときは、藩が成立する前からあった、人と物のつながりを出発点にします。北から本州へ品物が送られるだけの、一方通行の関係でもありませんでした。鉄製品や漆器、酒などが本州側からもたらされたことも、アイヌ民族文化財団の解説に記されています。
双方の暮らしに必要なものが海を渡っていたのです。
交易の前史を示す手掛かりは、出土品にもあります。上ノ国町の勝山館跡の解説は、中国や日本各地の陶磁器、骨角器などの発見を紹介しています。文字史料だけでなく品物の移動を考える材料ですが、そのまま江戸期の場所請負制が既にあった証拠にはなりません。
第3章
1604年の黒印状を読む
1604年、慶長九年正月二十七日。徳川家康は、松前の慶広に黒印状を与えました。函館市史に載る文面は、松前へ出入りする者が、松前側に断らずアイヌと直接商売することを禁じています。
一方で、アイヌの人々がどこへ往来するかは、当人たちの判断に委ねる付則もあります。不当な要求を禁じる条項もありました。交易を管理する規定と、アイヌの往来についての規定。
その両方を読み落とさないことが大切です。
ここに挙げた正月二十七日は当時の日本の暦による日付です。西暦1604年と対応させても、現代の1月27日へ無換算で置き換えません。また、函館市史には当時の研究を反映した社会発展段階の表現がありますが、本文ではアイヌ社会を一方的な遅れとして描く説明を採用しません。
第4章
文書の規定と、後の社会を分ける
黒印状の文言を読むことと、その後の社会が文言どおりだったかを確かめることは、別の作業です。文書には往来を当人たちに委ねる規定がある。
それでも、後の商場や場所の仕組みのなかで、アイヌの人々の自由な交易は制限されていきました。一枚の文書だけで江戸時代を通じた暮らしを説明せず、逆に、後の厳しい支配を1604年の条文そのものに書かれたこととして語ることもしません。
規定と実態、そして時期を分けることが、この歴史を読む手がかりになります。
第5章
商場知行制と地域別の交易権
松前藩では、家臣への禄を他の多くの藩と同じように米でまかなうことができず、主な家臣に、地域を限った交易の権利を分け与えました。取引の場は、商場、あるいは場所と呼ばれます。この仕組みが商場知行制です。
土地の広さだけでなく、その地域で誰が交易を担い、得た品物をどこへ売るかが、家臣の暮らしを支えることになりました。ここでいう権利は、単に品物を運べるというだけの話ではありません。地域を限って、取引を担う立場を特定の家臣に分けるという仕組みでした。
米の収穫高だけを見ても、この藩の経済は捉えきれません。
第6章
船を送り、松前で産物を売る
商場を与えられた知行主は、自分の商場へ船を送り、その地域のアイヌの人々と交易をしました。そこで手に入れた品物を松前で本州の商人へ売り、収益を得ます。
生産する人、現地で取引する人、港で買い取る商人。ひとつの船荷にも、複数の人々が関わっていました。
北から届く産物と、本州側から届く生活の品物は、このやり取りを通じて動きました。個々の交易品や条件は、場所と時代によって確かめる必要があります。
第7章
資金の借入と商人の関与
交易には船を出す費用も、持っていく品物を調達する費用もかかります。アイヌ民族文化財団の解説では、知行主が、交易の経費や生活費を商人から借り、交易で得た品物を渡して返すようになった経緯が説明されています。船荷を売る相手であった商人は、交易を続けるための資金にも関わるようになりました。
この関係の変化が、商場の経営を商人へ委ねる仕組みにつながっていきます。商人が関わる点だけでは、まだ場所請負制とはいえません。品物の購入、必要な資金の融通、そして商場そのものの経営。
どの役割まで商人が引き受けるのかによって、関係が変わるからです。借入の説明と、経営を任せる説明を、段階に分けて見ていきます。
第8章
場所請負制、運上金と産物の流れ
知行主が一定の金額を受け取り、商場の経営を商人に任せる。これが場所請負制です。北海道デジタルミュージアムは、十八世紀前半にこの仕組みが生まれたと説明しています。家臣自身が交易する段階と、請け負う商人が経営する段階を、一つの制度として扱うことはできません。
権利をもつ側と、現場を動かす側の関係が変わり、場所の経営には商人の役割が強まっていきました。知行主が受け取る金は、運上金と呼ばれました。ここでは、二つの流れを分けて考えてみましょう。商人から知行主へ向かう運上金と、漁場で生産されて市場へ向かう品物の流れです。
前者は、経営を請け負わせる側の収入。後者は、商人が現場で取り扱う産物です。経営の話だけを追うと、アイヌの人々が担った生産や労働の位置が見えにくくなります。港の船荷と、権利をもつ側への支払いを重ねて見ることが、この仕組みを理解する手がかりになります。
第9章
海産物の需要と遠くの市場
場所の経営を変えた背景には、海産物を求める需要がありました。アイヌ民族文化財団は、長崎俵物や、本州の藍などの換金作物の肥料となる漁獲物への需要を挙げています。
北海道の海で得られるものが、遠くの市場や生産に結びついていました。請負商人が漁業の経営へ進み、漁具の改良や技術の導入を行う一方、その生産を担う労働力としてアイヌの人々を使うようになったと説明されています。
市場とのつながりの拡大を、現地の自由の拡大と同じ意味にはできません。
北海道開発局の解説は、ニシン粕がニシンを煮て圧搾し、乾燥させた魚肥であり、菜種・綿花・藍などに使われたと紹介します。同じページに載る明治期の漁獲統計を、江戸前期の生産量へ移すことはできません。品物の用途と、数値が属する時期を分けて考えます。
第10章
交易者から漁場の労働者へ
やがて商人は、品物を交換するだけでなく、自ら漁業を経営するようになります。海産物への需要が高まり、生産を増やすなかで、アイヌの人々は漁場の労働力として使役されるようになりました。自ら産物を得て取引することと、他者が経営する漁場で働くことは、同じではありません。
交易の広がりを港の繁栄だけで説明すると、働く人々の立場と、暮らしの変化を見落としてしまいます。品物を自分で売る取引相手としての立場と、経営者のもとで働く立場。その違いに注目すると、同じ海産物が本州へ届いていても、生産の現場が変わっていたことがわかります。
流通した量の増加だけで、人々の暮らしが豊かになったとは判断できません。
第11章
松前三湊と北前船のつながり
蝦夷地の産物は、海の道を通って本州へ運ばれました。北海道デジタルミュージアムは、江差、松前、箱館の三つの港の繁栄と、北前船による物流を紹介しています。
十八世紀には、ニシンから作る肥料も本州へ運ばれ、農業や商品作物の生産に関わりました。米を産する地域と、海の産物を送り出す地域。
陸と海は切り離されておらず、離れた場所の生産と暮らしがつながっていました。
国土交通省の北前船解説は、各地の港で売買しながら航海する商船の役割を伝えています。運搬だけでなく、仕入れと販売が結び付く点が特徴です。長期の変化をまとめる解説なので、そこに載る19世紀の船や商人像を、1604年の船と同じ姿にはしません。
具体的な往復の一例として、恵山町史は1796年の高田屋嘉兵衛の航海を紹介します。酒・塩・木綿や米を運び、箱館でサケ・マス・昆布などを買って戻るという記述です。一人の後期の商人の例として読み、すべての船が同じ品目・比率だったとはしません。
第12章
繁栄を支えた仕組みと人々
松前藩を支えたのは、北の産物だけでなく、交易を管理する仕組みでした。商場知行制から場所請負制へ。
取引と経営の担い手が変わる一方、アイヌの人々は、交易の自由や暮らしに大きな制約を受けていきました。黒印状に書かれた規定と、その後に進んだ支配の実態も、同じものではありません。
港へ届く船荷を見るとき、その品物を作った人と、誰が取引を決めたのか。その二つを重ねると、松前の繁栄の違う側面が見えてきます。
江差に残る旧中村家住宅は、海産物仲買や廻船問屋の歴史を考える場所です。江差観光協会が公開する函館バスの案内冊子には、海側へ続く建物の構成と商家の働きが紹介されています。商家の建築を読むことと、その収益を支えた各漁場の労働条件を確かめることは、別の問いとして残ります。
本作の読み方
史実と再構成について
交易制度の変化は港に富をもたらす一方、アイヌの人々の自由や暮らしに制約を及ぼした。権利・経営・生産と労働を併せて読む。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
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アイヌの人々は生産者・交易者として他地域とつながる。
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勝山館が政治・軍事・交易の拠点として機能。
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家康の黒印状。交易管理とアイヌの往来、非分禁止を記す。
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地域の交易権を家臣へ分ける商場知行制。
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商人が商場経営を請け負い、知行主が運上金を受け取る仕組み。
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商人の経営とともにアイヌの人々が漁場の労働力として使役される。時期・地域差を保つ。
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ニシン粕などが本州の農業と結び付く。
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恵山町史が高田屋嘉兵衛の箱館への往復航海を紹介。
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旧中村家住宅は海産物仲買・廻船問屋の歴史を伝える。
Sources
参考資料・出典
- 中近世の蝦夷地 北海道 参照日: 2026-11-04
- アイヌ民族 歴史と文化(2022年9月) アイヌ民族文化財団 参照日: 2026-11-04
- 函館市史 通説編1 徳川の幕下に入る/徳川家康黒印状目録 函館市・北海道博物館 参照日: 2026-11-04
- 史跡上之国館跡 勝山館跡 上ノ国町 参照日: 2026-11-04
- 群来はいずこへ 江戸時代から北海道の代名詞 ニシン 国土交通省北海道開発局 参照日: 2026-11-04
- 北前船 地域観光資源の多言語解説文 国土交通省(石川県観光連盟) 参照日: 2026-11-04
- 恵山町史 6 郷土と高田屋嘉兵衛 函館市 参照日: 2026-11-04
- 江差・松前名所周遊号 案内冊子 江差町旧中村家住宅 函館バス(江差観光協会公開) 参照日: 2026-11-04
