SHIGEKI STORY1013
読む史劇
五稜郭|港から離れた星形の城が守った、箱館奉行所の仕事
海を見下ろす役所から、内陸の堀の中へ。開港、築造、引き継ぎ、復元をたどり、最後の戦場になる前の五稜郭を読む。
五稜郭は、なぜ箱館の港から離れた場所に築かれたのか。移転先を選んだ理由、奉行所の仕事、段階を踏んだ工事、箱館戦争の砲撃と、2010年の部分復元までを公式資料からたどる。
第01章
堀の向こうにあった役所
低い土塁と堀の向こうに、木造の庁舎がある。五稜郭の歴史を、そこから始めてみたい。星形の輪郭や最後の戦いで知られるこの場所は、開かれた港を治める箱館奉行所を守るために築かれた。
ところが、五稜郭は海辺にはない。外国船の入る港から離れた内陸に、なぜ役所と防備をまとめたのか。その場所の選び方には、開港後に増えた仕事と、海から受ける攻撃への備えが重なっている。
さらに、海からの安全を考えて移した役所へ、後の箱館戦争では艦砲の弾が届くことになる。築いた時の想定と、戦場になった時の条件の間には、時間の隔たりがあった。
役所が移り、仕事が始まり、担い手が変わり、建物が失われる。いま見る景観の中にも複数の時代がある。その順序を追うと、五稜郭の星形の内側に、人が働いた場所の歴史が戻ってくる。
第02章
港を開き、用件を受け取る
1854年、日米和親条約によって下田と箱館が開かれることになった。幕府は箱館奉行を再び置き、港とその周辺を治める体制を整えた。外国船への応対は、役所の具体的な用件になっていく。
箱館奉行所が担ったのは、外交、蝦夷地の統治、沿岸の防備だった。船の姿を見張るだけでなく、相手の申し出を受け、知らせを送り、人や物の動きを扱う仕事があった。
開港は、海に面した町の暮らしと行政を変えていく。外との窓口になった役所には、港への近さが必要だった。同時に、船から狙われやすい場所に重要な機能を置くことも、検討しなければならなかった。
当初の奉行所は、函館山の麓、現在の元町公園に当たる場所に置かれた。海を望む立地は便利でもあったが、その見通しの良さが、移転を考える理由にもなった。
第03章
山の麓から内陸へ
山の麓の役所は、港にいる船から見通すことができた。函館山に上れば、さらに高い場所から見下ろせる。外国人の遊歩できる範囲に山が含まれることも、防備の懸念になっていた。
移転先に選ばれたのは、港からおよそ3キロメートル離れた亀田の柳野だった。当時想定した艦砲の射程から距離を取りながら、箱館の町との行き来や、水の確保も考えられる場所だった。
つまり、港から遠いことだけが選択の条件ではない。役所は人が通い、用件を処理する場所でもある。海からの危険を減らすことと、町につながって働くことを両立させようとしていた。
海辺には弁天岬台場などの備えが置かれ、内陸では奉行所を囲む五稜郭が築かれる。海岸の砲台と内陸の役所を同じ場所と考えると、この役割の分担が見えにくくなる。
第04章
星形を工事に移す
設計を担った武田斐三郎は、ヨーロッパの稜堡式城郭を取り入れた。角を突き出す構造は、防ぐ側が周囲へ射撃できる配置に関わる。星形は、眺めのためだけに選ばれた形ではなかった。
設計には、1855年に箱館へ来たフランス軍艦から得た情報も関わっていた。海外の軍事知識が開港地へ入り、それを現地の地形や工事へ移していく仕事が進んだ。
1857年、五稜郭の工事が始まる。図面で整えた形を、堀を掘り、土を運び、積み上げる現場の作業に変えていかなければならない。構想には、費用という条件も加わっていた。
郭の外側に置く半月堡は、当初五つを計画しながら、実際に造られたのは一つだった。いま残る輪郭は、取り入れた方式をそのまま写した結果だけでなく、施工の過程で選び取られた形でもある。
第05章
凍る土と、海を渡る木材
北の土地で、土塁の土は冬に凍り、春に緩む。凍結と融解による崩れに対応するため、石を用いて土塁を支える工事が行われた。完成した輪郭の下には、土地の条件に合わせた手直しがある。
1862年には、中央に置く奉行所庁舎の建設が始まった。防備の外周を整える仕事の内側で、実際に役人が働く建物を造る工程が進んでいった。
建築には松、杉、ヒバなどが使われ、秋田の能代で加工された木材が海を渡った。港から距離を置いて建てる役所も、その材料を運ぶ道では、海と結ばれていた。
堀、土塁、庁舎。それぞれの工事には、異なる材料と作業が要る。五稜郭の築造を一つの完成年だけで捉えると、その間に続いた運搬と施工の時間がこぼれてしまう。
第06章
完成を待たずに始まった仕事
1864年6月、奉行所は新しい庁舎で業務を始めた。一方、付属施設などを含む全体の工事が終わったのは1866年である。業務開始と全工事の完了には、二年の隔たりがあった。
庁舎には役人が仕事をする表向きの部分と、奉行の暮らしに関わる奥向きの部分があった。郭内には土蔵や長屋なども置かれ、中央の建物だけでは役所の全体を言い表せない。
外では堀と土塁が守り、内では書類を扱い、人と応対する。五稜郭の防備は、そこで続く行政の仕事を囲んでいた。戦いに備える施設にも、戦いのない日の使われ方があった。
役所の働きは、後世に残った大きな出来事だけでは追い切れない。その毎日を考える別の手掛かりが、建物の図面に加えて、地面の下から見つかっている。
第07章
土の中に残った日常
五稜郭の発掘調査では、湯飲碗、土瓶、硯などが出土している。飲食に使う器と、文字を書く道具。役所の中で行われた仕事や暮らしを、身近な物から考えることができる。
使い終えた品が捨てられた穴も、調査の対象となる。何が、どの場所で、どの層から出たかを重ねることで、建物が立っていた頃の土地の使われ方を探っていく。
ただし、郭内で見つかった物を、すべて幕府の奉行所時代の品とすることはできない。洋酒瓶などには、箱館府や箱館戦争の時期との関わりを考える必要があるものも含まれる。
同じ堀に囲まれた土地でも、使った人と時期は変わっている。出土品をその変化の中へ置くと、五稜郭が短い期間に複数の担い手を迎えたことが、具体的な問いになってくる。
第08章
二度変わった役所の担い手
1868年、幕府の箱館奉行だった杉浦誠から、新政府の清水谷公考へ政務が引き継がれた。新たに置かれた箱館裁判所は、今日の裁判所と同じ役割だけを持つ機関ではなく、地域の行政を担った。
その後、箱館府へと体制が変わる。建物と土地を引き継いでも、そこで働く機関の名と権限は同じままではなかった。中央の政治の変化が、この役所にも及んでいた。
さらに同年秋、榎本武揚ら旧幕府軍が蝦夷地へ渡り、当時の暦の10月26日に五稜郭を占領した。新政府への政務の引き継ぎと、秋の旧幕府軍の占領は、別々の出来事である。
五稜郭は旧幕府軍の拠点となり、翌年には新政府軍との戦争に向き合う。開港地を治めるために築いた役所は、政権の交代を経て、戦いの指揮を担う場所へ変わっていった。
第09章
届かなかった砲弾、届いた砲弾
1869年春、新政府軍は蝦夷地で攻勢を進める。当時の暦の5月11日には箱館への総攻撃が行われた。五稜郭から港方面などを援護する砲撃もあったが、多くは届かず、十分な効果を得られなかった。
一方、翌12日には新政府軍の軍艦甲鉄から撃ち込まれた弾が、奉行所の太鼓櫓に命中した。海からの距離を考えて移転した役所へ、戦争の時点では艦砲の攻撃が及んでいた。
五稜郭の砲撃と甲鉄の砲撃は、撃つ位置も用いた砲も異なる。一つの距離や星形そのものだけで勝敗を説明することはできない。港や周囲の拠点を失う戦況の中で、郭内の立場も厳しくなった。
5月18日、榎本らが降伏し、箱館戦争は終結へ向かう。ここで挙げた月日は当時の暦による。戦場となった時間は強い印象を残すが、奉行所の建物の歴史は、その後も続いていく。
第10章
建物が去った後にも
1871年、奉行所庁舎は大部分が解体された。戦いの後に失われた建物を、砲撃ですべて焼け落ちたものと考えてしまうと、この解体の工程が見えなくなる。
解体した木材は、札幌の開拓使の庁舎建設などへ向けられた。箱館で役所を支えた材料が、別の行政の拠点を造るために運ばれる。建物が去ることも、その後の開拓の仕事につながっていた。
郭内には、築造当初からの土蔵が残った。ただし、その姿には後年の保存修理や庇の復元も含まれる。残っている建物も、手を入れられながら時間を越えてきた。
1914年、五稜郭は公園として一般に開かれた。庁舎の大半がなくなった場所を、人が訪れるようになる。地上から失われた役所を考えるには、図面、写真、地中の痕跡を合わせる必要があった。
第11章
一枚の写真を読み直す
奉行所の復元を支えたのは、古い図面、写真、発掘調査の成果だった。一種類の資料だけで、建物の姿や位置がすべて分かるわけではない。異なる手掛かりを照らし合わせていく作業が続いた。
古写真の中には、裏書きから二条城を写したものと考えられていたものがある。箱館奉行所の写真だと分かることで、建物の外観を知る資料として読み直されることになった。
写真は写った姿を伝える一方、見えていない部分まで示すものではない。図面の寸法や、発掘で確認した建物の痕跡などと組み合わせることで、復元のための根拠が積み重なった。
資料に付けられた名前も、建物の理解も、調べ直すことで変わりうる。いまの奉行所の姿の背後には、過去に造った人々の仕事に加え、その跡を確かめた人々の仕事がある。
第12章
元の大きさで、一部を取り戻す
2010年、箱館奉行所の一部が復元され、公開された。復元した範囲は元の庁舎のおよそ3分の1で、その部分を元の大きさで建てた。建物全体を3分の1の縮尺に縮めた模型ではない。
対象の範囲を定める際には、地中の遺構を守ることや、内部公開の条件なども考慮された。残る痕跡を保存しながら、かつての建物を体で感じられる場所を取り戻している。
現在の景観には、堀と土塁、保存修理を経た土蔵、現代に復元された庁舎が重なる。それぞれがどの時代に属するかを知ると、目の前の建物から過去へ向かう道筋が、いっそう具体的になる。
港から役所を離し、その内側で仕事を続けるために造られた五稜郭。最後の戦場となった記憶とともに、船を迎え、文書を交わし、建物を造り直した時間も、この星形の場所に積み重なっている。
本作の読み方
史実と再構成について
港から離れた立地を、防備と行政の仕事の両面から読み、築造・担い手の交代・戦争・現代の復元をたどる。
公的資料や研究を土台に構成しています。人物の心理や一部の情景表現には、物語・映像上の再構成を含みます。異説がある内容は確定事実として扱いません。
Timeline
物語の時間
-
日米和親条約による箱館開港の決定と、箱館奉行の再設置。
-
五稜郭の工事開始。
-
郭内の奉行所庁舎の建設開始。
-
新庁舎で奉行所の業務開始。
-
付属施設などを含む全工事が完了。
-
新政府へ政務を引き継ぎ、秋には旧幕府軍が五稜郭を占領。
-
箱館総攻撃、甲鉄からの砲撃を経て、18日に榎本らが降伏。
-
奉行所庁舎の大部分を解体。
-
五稜郭が公園として一般公開。
-
庁舎のおよそ3分の1の範囲を原寸で復元し、公開。
Sources
参考資料・出典
- 五稜郭の歴史・築造から大政奉還 函館市 参照日: 2026-10-18
- 五稜郭の歴史・箱館戦争から現在 函館市 参照日: 2026-10-18
- 五稜郭内の建物と遺構 函館市 参照日: 2026-10-18
- 出土品からみる奉行所の暮らし 函館市 参照日: 2026-10-18
- 箱館戦争の7か月 函館市指定管理・箱館奉行所 参照日: 2026-10-18
- 箱館奉行所の歴史・年表 函館市指定管理・箱館奉行所 参照日: 2026-10-18
- 五稜郭と箱館奉行所 函館市指定管理・箱館奉行所 参照日: 2026-10-18
- 箱館奉行所の役割 函館市指定管理・箱館奉行所 参照日: 2026-10-18
- 箱館奉行所の復元 函館市指定管理・箱館奉行所 参照日: 2026-10-18
